ウクライナでの苦難と戦禍からの脱出
安青錦新大(あおにしき・あらた)関、本名ダニーロ・ヤブグシシン。2004年3月23日にウクライナ中部のヴィーンヌィツャで生まれた21歳の若き力士です。彼の人生は、戦火と苦難、そして希望に満ちた物語で構成されています。
幼少期から柔道を始め、6歳の頃には道場で先輩たちが空き時間に遊びでやっていた相撲に興味を持ちました。最初は何をやっているのか分からなかったものの、7歳の時に地元のスポーツクラブで本格的に相撲を始めることになります。ウクライナではレスリング、柔道、相撲が盛んで、マットの上での練習を重ねながら実力をつけていきました。

11歳か12歳の頃、YouTubeで貴乃花と朝青龍の気合の入った取り組みを見て、「僕もプロを目指そう」と決意します。この出会いが、遠い日本への憧れを抱くきっかけとなりました。2019年、15歳の時には大阪府堺市で開催された世界ジュニア相撲選手権にウクライナ代表として出場し、中量級で3位入賞を果たします。足腰が強く、技術も確かなその姿は、多くの人々の目に留まりました。
しかし、2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まります。大学にも合格していた安青錦でしたが、戦火の中で相撲の稽古はままならなくなりました。ドイツに避難していた彼は、大きな決断を迫られることになります。
運命の出会いと日本への道
2019年の世界大会の会場で、運命的な出会いがありました。関西大学相撲部の1年生だった山中新大(あらた)さんは、3位入賞を果たした安青錦の技術と、負けて泣いている対戦相手にそっと手を差し伸べる優しさに心を打たれました。通路で彼を見かけた山中さんは、とっさに英語で声をかけたのです。
「ハロー。何歳?」 「15歳です」
この短い会話が、2人の絆の始まりでした。山中さんは大会パンフレットで名前を確認し、SNSで連絡先を見つけてやり取りを開始します。安青錦からは相撲についての「怒涛の質問攻め」が続きました。大相撲のまわしは地位でなぜ色が違うのか、日本ではどんな練習をしているのか。質問と回答が何往復も続き、深い友情が育まれていきました。
2022年3月8日、ドイツに避難していた安青錦から、切実なメッセージが届きます。
「日本に避難できないでしょうか」
山中さんは驚きましたが、断るという選択肢はありませんでした。「日本にいる僕を頼ってくれたので、助けてあげたい、サポートしてあげたいという気持ちがあった」と当時を振り返ります。大相撲の力士になりたいという夢も打ち明けられ、山中さんは家族の協力を得てビザの取得を手伝いました。
神戸の家族としての日々
2022年4月12日、18歳の安青錦は関西国際空港に降り立ちました。スーツケース1つとリュックサックを携えた青年は、手に汗をびっしょりかいていたといいます。両親とも離れ、異国の地での生活。不安と寂しさが入り混じった表情でしたが、山中家は彼を温かく迎え入れました。

神戸市内の山中さん宅でのホームステイ生活が始まります。安青錦は毎日山中家で食事をし、家族同然の存在となりました。2人は「ダーニャ(安青錦の愛称)」「あらた(山中さん)」と呼び合い、意思疎通は簡単な英語と翻訳機を活用しながら行いました。安青錦は山中さんの両親のことを「お父さん、お母さん」と呼び、本当の家族のような関係を築いていったのです。
日中は神戸の日本語教室に通い、夕方からは関西大学や報徳学園高校の稽古場を借りて練習に励みました。山中さんは「彼は本当に真面目だった。あっという間に日本語が話せるようになりました」と語ります。その上達の早さは驚異的で、ウクライナ人向けの無料教室からレベルの高い教室に転校したほどでした。
相撲の面でも苦労がありました。ヨーロッパでは組むことの多いスタイルでしたが、日本では突き押しの取り口が主流です。引き癖もあり、当初は苦戦しました。しかし、あえて学生相手にまわしを取らず、稽古場では押し相撲を習得。マットの土俵から土の土俵への変化にも順応し、足裏の皮がむけても必死に練習を続けました。
山中さんは語ります。「相撲部で相撲の話をすると、日本語が分からなくても、輪に入ってきた。とにかく相撲が好き」。銭湯に行けば湯船の中でも行司の声が聞こえ、トイレに入っても行司の声が聞こえるほど、相撲への情熱が溢れていたといいます。
感謝を胸に刻んだ四股名
8カ月の共同生活を経て、2022年12月、安治川部屋の研修生として受け入れが決まりました。2023年秋場所で初土俵を踏んだ安青錦。その四股名には、深い意味が込められています。
「安」と「錦」は師匠の安治川親方(元関脇安美錦)から、「青」はウクライナの国旗の色と自身の青い目を表し、そして「新大」は山中新大さんの名前から取ったものです。恩人への感謝を胸に、毎日土俵に上がり続けています。
真面目で誠実な人柄
安青錦の人柄について、周囲の人々は口を揃えて「真面目」「誠実」と評します。異国から来て相撲という日本文化を理解しようと一生懸命取り組む姿勢は、師匠の安治川親方も目を細めるほどです。
真面目すぎるほど実直で努力家。最後まで諦めない粘り強さ。自己評価を聞かれて「70点くらい」と答えるほどの謙虚さ。採血では「怖い。泣きそうになった」と素直に感情を表現するお茶目な一面もあります。取組後の支度部屋で、右目付近の青あざについて聞かれると「男前になりました」とユーモアを交えて答える余裕も見せます。
日本語の上達も目覚ましく、「恐ろしく早い」と評判です。真面目に学び続ける姿勢が、言語習得にも表れています。
初優勝と大関への道
2025年11月23日、大相撲九州場所千秋楽。安青錦は横綱・豊昇龍との決定戦を制し、ウクライナ出身力士として初の幕内優勝を果たしました。初土俵からわずか14場所での快挙。大関昇進も確実な状況となりました。
優勝の瞬間を神戸市の実家でテレビ越しに見守った山中さんは、「本当に込み上げてくるものがありました。始まりのあの日から色々あってここまで来た。いつもと変わらない彼の相撲を取り切ったからこその結果」と感激を語りました。

優勝インタビューで安青錦は語りました。「自分の選んだ道が間違いではなかった」。戦禍を逃れ、家族と離れ、異国の地で夢を追い続けた21歳の青年。その言葉には、計り知れない重みがありました。
山中さんは願います。「いろんな人のお陰で今がある。どんなに強くなっても、今のままのダーニャでいてほしい」。 安青錦新大。ウクライナの青い空と、日本の家族の温かさを胸に、若き力士は更なる高みを目指して歩み続けています。



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