大己貴神社の歴史の古さ
大己貴神社(おおなむち)は日本最古の神社の一つとされており、その歴史は極めて古く以下の文献に記載されています:
- 『日本書紀』(西暦720年)に記載
- 『延喜式』(927年制定)の神名帳に筑前国11社の1つとして記載
- 創建:第14代仲哀天皇9年(西暦200年頃)と伝えられる
他の延喜式内社10社は、宗像大社、織幡神社、筥崎宮、住吉神社、志賀海神社、志登神社、筑紫神社、竈門神社、麻手良布神社、美奈宜神社であり、極めて格式の高い神社です。

創建の伝承
『日本書紀』によれば、神功皇后が新羅征討の際、兵が集まらず困っていたところ、大神社(おおみわのやしろ)を建て、太刀や矛を奉納したところ兵が集まったと記されています。これにより、戦勝祈願の神社としても知られています。
御祭神 大己貴神(おおなむちのかみ)=大国主命を祀っています。地元では親しみを込めて「おんがさま」「大神様」と呼ばれています。

旧三輪町と奈良との驚くべき地名の共通点
大己貴神社が位置する筑前町は、2005年に旧三輪町と旧夜須町が合併して誕生した町です。したがって、神社がある地域はかつて「三輪町」と呼ばれていました。
この「三輪」という地名は、実は日本神話・古代史と深い関係があります。奈良県桜井市には、日本最古の神社とされる 大神神社(おおみわじんじゃ) が鎮座しており、その背後には御神体山である「三輪山」がそびえています。そして奈良の大神神社の御祭神も、大己貴命と深い関わりを持つ大物主命(おおものぬしのみこと)です。
つまり、
福岡の「三輪」も奈良の「三輪」も、同じ系統の神を祀る信仰圏である
という共通点があるのです。
奈良の三輪山信仰は古代から続く「山岳そのものを神としてあがめる」日本最古の神道の形の一つであり、各地に分布する三輪信仰の中心的存在でもあります。九州にも古代からヤマト政権や渡来文化の影響が広く及んでいたため、奈良の「三輪」と同じ神を祀る神社や、同系統の地名が分布したと考えられています。
旧三輪町の地名についても、奈良の大神神社からの信仰が伝播した、または古代豪族の移住などによって「三輪」という名前が付いたとされる説があります。

大己貴神社が「日本最古級の伝承をもつ神社」と言われる理由の一つには、この古い三輪信仰とつながる存在であることが挙げられます。この地においても古代より山や水、土地そのものを神聖視する文化が根付いていたことを示すものです。
地名が示す古代の信仰ネットワーク
古代の日本では、特定の神を祀る集団や豪族が、移動や交易を通じて各地に信仰を広めていきました。奈良の三輪山信仰もその代表例であり、北部九州は当時の政治・交易の要衝であったため、自然とその文化が伝わったと考えられています。
福岡県筑前町の大己貴神社周辺には「三輪」「三並」「三重」など、奈良に見られる古い地名と通じるものが多く残っています。これらの地名は単なる偶然ではなく、同じ信仰圏・文化圏であったことの重要な痕跡です。
このような地名の共通性は、古代の日本列島に広がっていた「神々のネットワーク」を示しており、大己貴神社が単なる地域の小社ではなく、広域的な信仰の流れの中に位置づけられる神社であることを教えてくれます。
邪馬台国東遷説との関連
この地名の一致は、邪馬台国東遷説の重要な根拠の一つとされています:
- 朝倉(筑前)から大和(奈良)へ政権が移動した可能性
- 移動した勢力が故郷の地名をそのまま新天地に付けた可能性
- 大己貴神社は「日本書紀に記される大三輪の社」である可能性
大己貴神社の公式サイトにも「朝倉から大和地方へ政権が移動したのでは」という記述があり、この神社が邪馬台国朝倉説における重要な位置を占めていることがわかります。
両地域の大神神社
- 福岡県筑前町:大己貴神社(大国主命を祀る)
- 奈良県桜井市:大神神社(おおみわじんじゃ、大物主大神を祀る)
両社とも「大三輪の神」を祀り、日本最古級の神社とされています。奈良の大神神社も本殿を持たず、三輪山そのものを御神体とする古い形式を残しています。
この地名の一致は、古代日本における政権の移動や文化の伝播を物語る貴重な痕跡として、歴史研究者や古代史愛好家の間で注目されています。大己貴神社は、そうした古代史の謎を解く鍵を握る重要な神社といえるでしょう。


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