元プロ野球選手の張本さんが亡くなるりました。
最近では、テレビ番組のサンデーモーニングのご意見番として有名でしたが、選手として、日本プロ野球初の3000本安打を記録しました。
通算では3085本です。
2009年にイチロー選手に抜かれるまでは、日本プロ野球では唯一の3000本安打達成者でした。
私が記憶に残っているのは、大沢元監督とのコンビでサンデーモーニングのご意見番を務めていたころでした。
張本さんひとりになってからは、何かと批判を浴びることがあった様でしたが、大沢元監督とのコンビの歯に衣着せぬ発言が痛快でした。
落合博満氏と張本さんの出会い
張本さんについては様々な人がコメントを寄せています。
その中で私の印象に残ったひとつが、落合博満氏のエピソードです。
私が特に印象に残ったのが、落合博満氏が語った張本さんとのエピソードです。
張本さんとの出会いが、その後の自分の野球人生につながったという話でした。
という趣旨の話をしています。
社会神社球からロッテに入団した落合氏はしばらくファームでくすぶっていました。
落合氏によると、1980年当時二軍でくすぶっていた自身について、張本氏が山内監督に実際、今回の報道でも、張本さんが山内監督に落合を一軍で使うよう助言したという話が紹介されています。
そのことが後の活躍につながったといいます。
プロ野球だけに限らず、このような人との出会いがその人の運命を大きく変えることは少なからずあると思いました。
イチロー選手と仰木監督の出会い
イチローさんの日米通算安打数は、4367本。
張本さんを大きく超える安打を記録したイチローさん。
愛工大名電から1991年にオリックスブルーウェーブに入団しました。
イチローさんも、初めから順風満帆だったわけではなく、やはりしばらくファームにいました。
当時の土井監督のもとでは、しばらくファームで経験を積んでいました。
そして、私が記憶しているのは、土井監督から替わった仰木監督がイチロー選手の走る姿を見て、その才能を見抜いたというエピソードです。
仰木さんは、元西鉄ライオンズの選手だった方で、また北九州の東筑高校の出身だった方でもあるのでちゅうもくしていました。
藤川球児投手と岡田監督の出合い
藤川球児さんは1998年のドラフト会議で、高知商業から阪神タイガースに1位指名で入団しました。当時の野村監督が藤川投手の指名を推していたことも知られています。
また、プロ入り後の藤川投手に対して、新庄剛志さんがストレートの素質を評価する言葉をかけたというエピソードもあります。
藤川投手で私が最初に印象に残っているのが、星野監督に替わった、2003年4月11日の対読売ジャイアンツ戦の9回、4点差の二死から登板して同点に追いつかれ8-8の引き分けに終わった試合です。
その時は、テレビで中継があったのでテレビにかじりついて見ていました。私がテレビで見ていて強烈に印象に残った試合です。
リードしていた阪神なので、これは勝てると思っていたのですが藤川投手は打たれて追いつかれてしまいした。
この年に優勝を果たした阪神の星野監督は、あの試合で追いつかれたが負けなかったことがこの優勝につながったという趣旨の発言が私には強烈な印象として残っています。
それからしばらく藤川投手はしばらく見ませんでした。
当時はネットなどもなく、私は「この投手は大丈夫だろうか」と心配したことを覚えています。
後に知ったことでは、2003年オフに他球団からトレードの申し入れがあり、また球団として戦力外も検討されており具体的な話も進んでいたということです。
そして、星野監督の後任の監督となった岡田彰布さんが、戦力になる選手だと引き留めたと言うエピソードを知りました。
そして、2005年、藤川投手はJFKの一角として大きく飛躍し、「火の玉ストレート」と呼ばれる直球を武器に活躍するようになりました。
まとめ 人との出合い
私がプロ野球で知っているだけでも、このようなエピソードは数多くあります。
逆に、実力を認めてくれる人との出会いがなく、十分に力を発揮できないまま現役を終えた選手もいたのではないでしょうか。
野球に限らず、人生には「誰と出会うか」が大きな意味を持つことがあるのだなと、今回の張本さんの訃報をきっかけに改めて感じました。


コメント