関森ありさ。「アナウンサー試験100社落ち」 夢への執念と人力車の挑戦!

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草の街を駆け抜ける小柄な女性車夫

東京・浅草の雷門前。観光客でごった返す街の喧騒の中、「人力車、いかがですか?最高の思い出を作りますよ!」という軽快な声が響き渡ります。呼び込みをしているのは、身長155センチの小柄な女性、関森ありささん(29歳)です。

強靭な肉体美を誇る男性車夫に混じり、大柄な男性客を人力車に乗せて浅草の街を颯爽と走り抜ける彼女の姿に、多くの人が思わず目を奪われます。大人の男性2人が乗れば、人力車を合わせて総重量は200キロを超えます。それでも関森さんの笑顔は絶えません。

しかし、関森さんにはもう一つの顔があります。それは「ラジオDJ」という顔です。週4日は浅草で人力車を引き、残りの週4日は江東区のレインボータウンFMでDJとして活動する、まさに異色の”二刀流”なのです。そして驚くべきことに、月の休みは0日。それでも「仕事をしているという感覚がない」と笑顔で語る関森さん。一体、その尽きることのないエネルギーはどこから来るのでしょうか。

アナウンサーの夢破れて──100社全落ちの挫折

関森さんは東京都江東区出身。國學院大学法学部在学中、中学時代から人前で話すことが好きだった彼女は、アナウンサーになることを夢見ていました。大学3年生の時、アナウンサースクールに通いながら、全国のテレビ局の採用試験に挑戦し始めます。

「どこかには受かるでしょ」と楽観視していた関森さんでしたが、現実は厳しいものでした。北海道から沖縄まで、全国約100社ものテレビ局やラジオ局の入社試験を受けましたが、結果はすべて不合格。まず、エントリーシートが通らないのです。周りの志望者の「ミス日本」や「国際コンクール優勝」といった華々しい実績や肩書に圧倒されました。

自身のエントリーシートに書いた「ピアノ歴20年」や「公立中学校の生徒会長」では太刀打ちできませんでした。最終面接まで進んだ社もありましたが、最終的には全滅。就職先が決まらないまま、大学4年生を迎えることになったのです。

人力車との出会い──180万円の人力車を大破

そんな時、アナウンサースクールの講師から勧められたのが、人力車の車夫のアルバイトでした。「トーク力を磨けるし、履歴書にも書ける」という言葉に、大学4年生の夏、関森さんは浅草の観光人力車「天下車屋」の門を叩きます。

しかし、それまで運動経験のなかった関森さんにとって、車夫の研修は想像を絶する過酷なものでした。夏の暑さの中、店長を乗せて引く練習をするのですが、わずか5分でバテてしまいます。重さと暑さ、両方との戦いでした。

そして研修開始から2週間後、衝撃的な事故が起こります。店長を乗せたまま、180万円もする人力車をバックの練習中にひっくり返してしまったのです。手を離してしまい、男性の店長を乗せた人力車がバックドロップするようにひっくり返り、大破してしまいました。

「このまま辞めても何も残らない」──そう考えた関森さんは、社長の提案を受け入れ、兵庫県の姫路店で8月の1ヶ月間、朝から晩まで特訓を受けることを決意します。修理代は保険で賄われましたが、反省文には「修理代は今後車夫として稼いだお金で弁償します」と勢いで書いていました。この出来事が、関森さんの人生を大きく変えることになるのです。

二つの天職との出会い──人力車を続ける条件での採用

大学卒業を控えた2019年4月、ラジオ好きだった祖父の影響もあり、関森さんは地元のレインボータウンFMの入社試験を受けます。両親が仕事で忙しく、幼少期から祖父母の家にいることが多かった関森さんにとって、視力が衰えた祖父と一緒に聞いたラジオは特別な思い出でした。

そして、思わぬ提案を受けます。局長から「人力車を続けるなら採用する」という異例の条件を提示されたのです。当時としては、副業を条件にする採用は極めて珍しいことでした。

最初は悩みましたが、姫路での特訓を経て、やっと人力車を引くことができるようになっていた関森さん。「もう少し車夫を続けてみたい」という思いもありました。さらに、天下車屋の社長から「目の前にやることがあるんだったら2つとも一生懸命、頑張った方がいい」との助言を受け、二足のわらじに挑戦することを決意します。

しかし、両方の世界とも甘いものではありませんでした。車夫として1日数百人に営業の声をかけても、小さい体を見て「本当に走れるの?」と断られるのは当たり前。乗客数ゼロの苦しい日が続きました。ラジオの仕事も、1年目は音響機器の操作や企画など裏方の仕事ばかり。それでも「夢破れて味わったどん底に比べればまだまし」と歯を食いしばって続けました。

店長として後進を育てる喜び

そんな関森さんも、今では天下車屋の浅草エリアの店長に就任しています。浅草で18社ある人力車運営会社で、女性店長は関森さんただ一人です。約8年の経験を経て、今では新人の採用や研修も任されています。

「浅草の街や人を愛して、感謝を忘れないことを伝えています。体力やコミュニケーション力が重要というイメージがあるかもしれませんが、笑顔で声を掛けるなど一生懸命に取り組む姿勢が大事。お客様に『頑張っているから乗りたい』と思っていただけることも多いです」と力説する関森さん。

店長として若いスタッフの指導をする中で、かつての自分のようにアナウンサーを目指していたり、夢に向かって頑張っている後輩たちと出会います。「自分も頑張ろうとエネルギーをもらえますね」と語る関森さんの表情は、充実感に満ちています。

休みゼロでも笑顔でいられる理由

週4日が車夫、週4日がラジオDJ。月の休みは0日という過酷なスケジュールですが、関森さんは「全くつらくない」と笑顔を見せます。その理由を聞くと、「本当に、仕事をしているという感覚がないんです」と答えます。

挫折を経験し、180万円の人力車を大破させ、それでも諦めずに姫路で特訓を受けた日々。1日数百人に声をかけても断られ続けた経験。そうした苦しい時期を乗り越えてきたからこそ、今の仕事が「天職」だと感じられるのでしょう。

また、ラジオDJとしても活躍し、2024年11月には日本テレビ系「踊る!さんま御殿!!」にも「江東区代表」として出演しました。学生時代に説明会で訪れた日本テレビの番組に、車夫姿でゲストとして出演するとは、当時は想像もできませんでした。楽屋で明石家さんまさんや元テレビ東京アナウンサーの松丸友紀さんと挨拶した際、松丸さんから「今、こうやって共演できているんだから、自分がやってきた道は間違いじゃないよ」と言われ、ジーンとしたといいます。

エネルギーの源泉──感謝と恩返しの心

関森さんのエネルギーの源泉は、浅草の街と人々への感謝の心、そして江東区への恩返しの思いにあります。「江東区、浅草の街をもっともっと盛り上げていきたい。後進を育てることもそう。自分の経験を若い子に教えていけたら」と目を輝かせます。

アナウンサー試験で100社全落ちという挫折は、決して無駄ではありませんでした。その経験があったからこそ、天下車屋の社長から「思い通りにならない人生の方が、結果的におもしろくなるんじゃない?」という言葉が心に響き、二つの仕事に本気で向き合う決意ができたのです。

関森さんの後を追いかけ、女性車夫として門を叩く後輩も出てきています。夢が叶わなかった悔しさをバネに、新たな道を切り開き、そこで輝き続ける関森さんの姿は、多くの人に勇気を与えています。 休みゼロで走り続ける彼女のエネルギーは、挫折を乗り越えた強さ、感謝の心、そして次世代への思いやりから生まれているのです。浅草の街を今日も笑顔で駆け抜ける関森さんの姿は、「人生は思い通りにならないからこそ、おもしろい」というメッセージを私たちに伝えてくれています。

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