福岡県には、国家的な祭祀の場として成立した神社だけでなく、人々の生活や願いとともに信仰が育まれてきた神社が数多くあります。
それらは時代の変化とともに役割を変えながらも、今なお多くの参拝者を集め、信仰の場として生き続けています。
本記事では、福岡県を代表する格式高い神社の中から、宗像大社・太宰府天満宮・宮地嶽神社の三社を取り上げます。
いずれも性格の異なる神社ですが、古代から現代まで「祈り」が途切れることなく受け継がれてきた点で共通しています。
宗像大社(福岡県宗像市)|海の彼方に祈りを捧げた古代祭祀の中心地
創建の由来
宗像大社は、宗像三女神を祀る神社として知られています。特に注目すべきなのは、沖ノ島を中心とする祭祀の歴史です。
沖ノ島は現在も一般の立ち入りが厳しく制限された禁足地であり、その存在自体が神聖さを物語っています。
祭神
・田心姫神 たごりひめのかみ
・湍津姫神 たぎつひめのかみ
・市杵島姫神 いちきしまひめのかみ
沖ノ島を中心とする祭祀の歴史
『日本書紀(720年)』には、天照大神から宗像三女神へ「歴代天皇をお助けすれば、歴代天皇が祀るでしょう」という言葉が残されています。これは宗像が日本における最初の国際港であったため、海外との外交、貿易、国防的な機能を果たせば、天皇が祀るとされ、それは沖ノ島から出土した約八万点の国宝からも国家祭祀の痕跡が裏付けています。
沖ノ島からは膨大な数の奉献品が出土しており、古代の人々が命を懸けて航海の安全や国家の安泰を祈っていたことがうかがえます。
九州国立博物館で開催された「沖ノ島展」では、それらの遺物とともに、宗像大社が果たしてきた役割を改めて知ることができました。
現地を訪れて感じた空気感・体験
宗像大社は、福岡県でも人気のある神社で、常に多くの人が訪れています。古くから、遣唐使派遣の船の安全を祈願するための祭祀が古くから行なわれていたということから交通安全のご利益があると言うことで、多くの車が祈願に訪れています。
わたしも子どものころ、父親が車を運転していたので、家族で祈願に訪れていたことを思い出します。福岡県では、車に宗像大社の交通安全のステッカーを張っている車をよく見かけます。
個人的に印象に残った点
各地に神様が降臨した、鞍手町六ヶ岳にも宗像三女神が降臨したと言う伝説があります。そのようなことが神社創建の由来になったと言う伝承はいくらかあります。わたしは、この宗像大社の宗像三女神が降臨したと言う、高宮祭場に訪れた時ほど強い印象を持ったことはりませんでした。
まとめ
宗像大社は、目に見える社殿だけでなく、見えない「海の向こうの神」への信仰を今に伝える、極めて特異な神社です。
太宰府天満宮(福岡県太宰府市)|政治の歴史と個人の願いが重なる場所
創建の由来
古くは、西国の守りとして大宰府政庁が設置され、条里制の広大な都市があったと言われています。都を追われ、大宰府に左遷されました。そしてここが、大宰府で亡くなった道真公の御墓所であり、その墓所に創建されたのが太宰府天満宮であります。
祭神
菅原道真
菅原道真足跡を感じさせる地
菅原道真が、都から太宰府に左遷されて、大宰府に赴任すると、都に残して来た梅の木が一夜にして大宰府に飛んで行ったと言う伝承があります。これを「飛梅」言い、拝殿の前にあり、毎年一番早く花を咲かせます。
太宰府天満宮は、学問の神様として広く知られていますが、その背景には深い歴史があります。
菅原道真は、政治的な失脚により大宰府へ左遷され、この地で生涯を終えました。その死後、道真を祀る天満宮信仰が全国へと広がっていきます。
太宰府天満宮の魅力は、社殿や梅の名所だけではありません。境内やその周辺には、道真の足跡を感じさせる場所が点在しています。
「歴史の小径」と呼ばれる散策路には万葉歌碑が並び、途中には「令和」の典拠として知られる坂本八幡宮もあります。
現地を訪れて感じた空気感・体験
太宰府天満宮の表参道はいつも賑わっており、多くの店が建ち並んでいます。祭神の菅原道真は学問の神様と言われていることから受験の合格祈願の神社でもあり受験シーズンになると多くの受験生が訪れます。
個人的に印象に残った点
20年近く前になりますが、長女が受験生の時、翌年の県立高校の受験を控え合格祈願のためここを訪れました。大晦日の8時ごろ到着。1月1日が近づくにつれて、どんどん人が増えてきました。カウントダウンの時間には、すごい人でごった返していました。
残念ながら、県立高校は受からず、私立女子校に行きましたが、3年間1日も休ます出席し、友達にも恵まれています。
まとめ
政治史と文化史、そして個人の祈りが重なり合う太宰府天満宮は、国家から民衆へと信仰が広がった象徴的な神社だと感じます。
宮地嶽神社(福岡県福津市)|民間信仰と古代史が交差する社
由緒
宮地嶽神社は、神功皇后を祀る神社として知られています。伝承によれば、神功皇后が渡韓の際に宮地嶽の頂で祈りを捧げたことが始まりとされています。
祭神
- 息長足比売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)
- 勝村大神(かつむらのおおかみ)
- 勝頼大神(かつよりのおおかみ)
古代から現代風景に繋がる宮地嶽神社の魅力
拝殿に掲げられた巨大な注連縄は圧倒的な存在感があり、その大きさは日本一とされています。
宮地嶽神社には、注連縄のほかにも大鈴や太鼓といった「日本一」があり、信仰の力強さを視覚的にも感じることができます。
また、本殿奥に鎮座する奥之宮八社の中には、宮地嶽大塚古墳にあたる不動神社があり、古墳の羨道や出土品からは古代の豪族の存在がうかがえます。
近年では、表参道の先に夕日が沈む「光の道」が話題となり、多くの人が訪れるようになりました。
古代史、民間信仰、そして現代の風景が重なり合う点に、宮地嶽神社ならではの魅力があります。
現地を訪れて感じた空気感・体験
普段の宮地嶽神社は静かな空間です。わたしが訪れたのは、「光の道」が話題になる随分前ことです。参拝して戻る時に、表参道の石段を下りようとすると、必ずと言って良いほど、この表参道が海に向かって一直線に伸びていることに気づくはずです。わたしも気づいていましたがこれほど話題になるとは思いませんでした。世界的に見てみても農耕で生計を立てていた人々は、太陽の方向で季節を知りました。この「光の道」は決して偶然ではなく、古代の人たちの営みの中で意図的に作られた物だろうと思います。ここにも歴史ロマンが存在しています。
個人的に印象に残った点
宮地嶽神社には何度か行ったことがありましたが、当初は「奥之宮八社」の存在は知りませんでした。何回目かに知り、本殿の奥から入ろうとした時、本殿の屋根が異様に輝いているのに気づきました。本殿の屋根は太陽の光を浴びて眩しいほどに金色に輝いていたのです。
「光の道」といい「金色に輝く屋根」といい、宮地嶽時神社は太陽と関連が深いように思います。
まとめ
宗像大社、太宰府天満宮、宮地嶽神社は、それぞれ成立の背景も役割も異なります。
しかし共通しているのは、信仰が過去のものではなく、今も人々の中で息づいているという点です。
国家の安泰を祈った神社、政治と文化が交差した神社、民衆の願いを受け止め続けてきた神社。
これらを巡ることで、福岡県が日本の歴史と信仰の縮図のような地域であることを実感できます。
福岡県の格式高い神社は、単に古い建物や有名な伝説を持つ場所ではありません。
それぞれが時代とともに役割を変えながら、祈りの場として生き続けてきました。
本記事で紹介した三社を訪れることで、書物だけでは分からない「信仰の重なり」を感じることができるはずです。
本記事は「福岡県の格式高い神社」を巡るシリーズの一つです。ここで紹介した各神社について下記の記事に置いて詳しく紹介しています。





コメント