田川若八幡神社と田油津姫伝説|神功皇后ゆかりの地を訪ねる

歴史・史跡めぐり

若八幡神社は、田川郡夏吉という場所にあります。

福岡県田川郡香春町(かわらまち)から国道201号線を飯塚方面に走り、市街地を抜けた香春岳の麓の田園地帯の川沿いに神社はあります。

私が訪れたのは8月。周囲には青々と稲が茂り、のどかな田園風景が広がっていました。

神社は、その田園地帯の一角にあります。


本記事は「日本書紀をたどる神功皇后伝説」シリーズの一編です。日本書紀に記された神功皇后ゆかりの史跡を実際に訪ね、その土地に残る伝承とともに紹介しています。シリーズ記事は順次公開予定です。

若八幡神社

深い森に囲まれた若八幡神社 撮影は筆者

鳥居の前に立つと、背後は深い森に覆われています。人の姿はありません。鳥居をくぐって、石段を上ると立派な社殿があります。

神功皇后が(つち)蜘蛛(ぐも)田油津媛(たぶらつひめ)(ちゅう)(さつ)しました。そのときに田油津媛の兄の夏羽(なつは)が軍を起こして迎えに来ました。しかし、妹が誅殺されたことを聞き、逃げました。

日本書紀では、この出来事はごく簡潔に記されています。

地名に秘められた事実

ひっそりとした拝殿 撮影は筆者

実際、神社に行って由緒を見るとさらなる事実が書かれていました。

「夏吉という地名は、神功皇后の暗殺を企てた、田油津姫の兄の夏羽が神功皇后に焼き殺された逸話による」とあります。この夏羽の亡霊の祟りを鎮めるに祀ったのが夏吉にある「若八幡宮」だということです。

なぜ、田油津姫が神功皇后の暗殺を企てたか日本書紀には書かれていません。神社の由緒によると、仲哀天皇の祖父景行天皇の時代まで遡ります。

人皇十二代景行天皇の熊襲(くまそ)征伐に際し天皇を周防の佐波(さば)(今の防府市)まで出迎え、九州平定に寄与されたのが我が夏吉地域開発の祖神、(かむ)(なつ)()(ひめ)でした。「(さかき)の枝に八握(やつかの)(つるぎ)八咫(やたの)(かがみ)八尺瓊(やさかに)をとりかけ、船の舳先に(しら)(はた)を立てて出向いて来たと日本書紀には記されています。

若八幡宮の由緒にはさらにこの様に記されています。

年代は下がって姫の末裔(まつえい)夏羽は朝廷に恨みを持ち、神功皇后を討とうとした妹、田油津姫を助けんと軍勢を集めてかけつける途中で妹の敗戦を知り逃げ帰って館に立て篭もったところを追ってきた天皇の軍勢に焼き殺されました。(岩屋須佐(すさ)社横の洞窟との説もある)

そして、当初は、夏羽が焼き殺された地であることから、「(なつ)(やき)」という地名でしたが、「江戸時代にこの地を巡回した小笠原藩祖(ただ)(ざね)公が困窮のどん底にあった村民を救うため色々の施政をされると共に、不吉な夏焼の村名を夏吉と、改称されました」とのことです。

岩屋鍾乳洞

須佐神社近くの石灰岩の崖 撮影は筆者

香春岳周辺には石灰岩地帯特有の鍾乳洞が点在しています。

若八幡神社の伝承にも、その鍾乳洞が登場します。

香春岳は石灰岩の山です。日本三大カルスト台地のひとつ平尾台と一体だったのが、地殻変動によって分かれたそうです。そのことから、小さな鍾乳洞が沢山あるのです。

岩屋(ごうや)鍾乳洞(しょうにゅうどう)は、岩屋公園の須佐神社のすぐ横にありました。石灰岩の岩の近くに電源のスイッチがあります。

平尾台の様に整備した観光化されてなく、鍵を借りて自分で電源のスイッチを入れて、見学するようになっています。

しかし、人の姿はありませんし、もし中に入って、電気が消えたり、入口の鍵が開かなくなったりしたら、当分誰にも見つけてくれないかもしれない。そして、さらに

夏羽が焼き殺されたのが、岩屋須佐社横の洞窟との説もあるとの記述があることもあり、とても一人で入る気にはなりませんでした。

ここに来て見ると、日本書紀の伝承と、この静かな鍾乳洞が結び付くと、古代の出来事が現実の風景として感じられました。


本記事はシリーズの一編です。
日本書紀ゆかりの史跡や神社を巡りながら、九州各地に残る伝承を紹介しています。

シリーズ記事は順次公開予定です。


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