反逆者羽白熊鷲との戦い|神功皇后ゆかりの地を訪ねる

歩く(旅・歴史・自然)

秋月を歩いていると、日本書紀に登場する羽白熊鷲の伝説を思い出します。

()持田村(とりのたのふれ)()白熊(しろくま)(わし)という者がいました。その人と成りは強くて怖いものでした。その身には翼があり、よく飛んで高く翔けました。それで皇命(オオミコト=天皇の命令)に従わず、常に人民から略奪をしました。

このように、日本書紀に記述されています。

神功皇后が陣を敷いた七つ森」とは

七つ森のひとつと伝わる朝倉老松神社 撮影は筆者

皇皇后は羽白熊鷲を討つため、各地に陣を敷いたと伝えられています。その陣跡は後に「七つ森」と呼ばれるようになりました。

ただし、日本書紀には具体的な場所は記されておらず、現在伝わる場所は各地の伝承によるものです。日本書紀には、この七つの陣がどこであるかは明確に記していません。

老松神社については、現地の由緒に「七つ森」と書いてありました。

古処山

古処山山頂近くに祀られる祠 撮影は筆者

羽白熊鷲は、嘉麻市にある古処山を拠点にしていると言われています。

わたしは、古処山に登りました。古処山は修験道の山です。

登山には結構厳しい山で、所々に小さな石仏が祀られていました。わたしが登った時は、九州北部に何年の続いて大雨被害があった時期で、いろいろな場所の登山道が荒れていました。この時の古処山も木段などが崩壊している場所が何か所もありました。

夏には、オオキツネノカミソリの名所のひとつでもあります。

深い森と厳しい登り。

羽白熊鷲が身を隠すにはふさわしい場所だと感じます。

筑前の小京都

秋月眼鏡橋 撮影は筆者

かつて黒田藩の支藩の城下町として栄え、筑前の小京都と呼ばれていました。

今では観光地として、春は桜、秋は紅葉の名所になっています。

西側から秋月に入って行くと、「野鳥」というバス停があります。

()持田村(とりのたのふれ)が「野鳥」でしょうか。そして、ここは古処山の登山口のひとつになっています。

中央辺りには、川が流れています。橋の回りにはもみじが繁っています。秋には紅葉が美しいのでしょう。

奥へ行くと、杉の馬場があります。今は桜並木になっていますが、かつては杉並木で藩の武士たちがここで乗馬の訓練をしていたそうです。

一番奥には、秋月八幡宮があります。ここも「七つ森」のひとつと言われて、熊鷲との戦いがあったとの説もありますが、神社の由緒では「神宮皇后の旧地とされる宮の丘」とだけあり実際にどのようなつながりがあったかはわかりません。

羽白熊鷲

羽白熊鷲の伝説は周辺に多くあります。

福岡県朝倉市あまぎ水の文化村、羽白熊鷲の墓と言われる場所もあります。

羽白熊鷲は、日本書紀には朝廷に従わなかったとあります。田川の田油津姫の日本書紀では同じような扱いになっています。かつて私が訪れた「岩戸山古墳」の被葬者、筑紫野君磐井も反乱者として扱われていますが、実際に現地では、地元を救った英雄と扱われています。

歴史上、正史で反乱者として扱われている人物は、地元のために尽くした人物であるということもあるのだろうと感じます。

現地を歩くと、日本書紀だけでは見えてこない地域の伝承や人々の思いに触れることができます。

羽白熊鷲を討った神功皇后は、すぐに(つち)蜘蛛(ぐも)田油津媛(たぶらつひめ)を討ちに行きます。


本記事は「神功皇后ゆかりの地を訪ねる」シリーズの一編です。

日本書紀に登場する神社や史跡を実際に訪ね歩きながら、九州各地に残る伝承や歴史をご紹介しています。

まとめ記事「日本書紀をたどる神功皇后伝説|九州ゆかりの史跡11選」では、シリーズ全体をご覧いただけます。

これからも九州各地に残る歴史や伝承を、自分の足で歩きながら、一つひとつ紹介していきたいと思います。

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