神功皇后が造ったと伝わる古代の水路 裂田の溝|神功皇后ゆかりの地を訪ねる

歩く(旅・歴史・自然)

福岡市南区から那珂川市へ向かって自転車を走らせました。周囲にはマンションが立ち並び、都市の風景が続きます。ところが、少し走るだけで突然広大な田園が目の前に広がりました。振り返っても、先ほどまで見えていたマンション群はどこにも見えません。まるで一瞬で別の世界へ入り込んだようでした。

裂田の溝

裂田の溝 撮影は筆者

裂田の溝さくたのうなでに沿って散策道がありま裂田の溝に沿って散策路が続いています。散策路といっても、多くは車も通れる広い道路で、自転車でも快適に走ることができます。

途中に人が歩く遊歩道があり、東屋やベンチもあり公園として整備されています。

そこには一面青々とした水田が広がっています。そして、その水田を取り囲むように水路が流れています。

その水路には水は勢いよく流れ、絶え間なく水音が響いていました。

水路の途中には、神功皇后を祀った「裂田神社」があります。水路はその神社の横で急に右に曲がっています。

神社の入口に、神社の説明がありますが、いつ創建したかなど詳しい由緒については書かれていなません。神社の横にある「裂田の溝ものがたり」によると、このあたりに、大きな岩が行く手を塞いだと書かれています。もしかすると、この岩を避けるためにこの様に曲がったのでしょうか。

安徳台

田園風景が広がる 撮影は筆者

裂田の溝に囲まれるように、小高い丘があります。それが安徳台です。

ここには()(こく)の人たちが住んでいた遺跡があるらしいです。那珂川市の「那」は金印にある「漢委奴國(かんのわのなのこく)(おう)」の「奴」のことだそうです。

安徳台に立つと、この一帯が古代から人々の暮らしの中心だったことを想像させます。

奴国(なこく、なのくに)とは、1世紀から3世紀前半にかけて九州に存在したとされる国で、『()漢書(かんじょ)東夷伝(とういでん)』や『()()倭人伝(わじんでん)』『梁書(りょうしょ)倭伝(わでん)』『北史(ほくし)()国伝(こくでん)』に倭人の国として現れているそうです。

隣の春日市にも奴国に遺跡が多くあます。春日市奴国歴史公園では奴國に関する多くの資料等が展示されています。

春日市奴国歴史公園を訪れたのは、九州国立博物館で「始皇帝と大兵馬俑展」を見た頃でした。その時、初めて『キングダム』という漫画が大ヒットしていることを知りました。

一の井堰)

神功皇后を祀った、裂田神社を過ぎると、「一の井堰」と書かれた説明板があります。

下を見ると大きな川が流れています。その流れを眺めながら、この川から裂田の溝へ水が引かれていることを実感しました。

「一の井堰いぜき」は裂田の溝の水をくみ上げていると説明があります。

築造年代は不明とされていますが、説明板には裂田の溝と同じ時期に築かれたと考えられていると書かれていました。

裂田の溝と神功皇后伝説

裂田神社 撮影は筆者

日本書紀に裂田の溝が登場することから、少なくとも奈良時代初めには、その存在や伝承が広く知られていたことが分かります。

一方、考古学では、裂田の溝は弥生時代以前に築かれた可能性も指摘されています。

正確な築造年代は今も研究が続けられていますが、当時としては大規模な土木工事だったことは間違いありません。

人々の暮らしを支える重要な水路だったからこそ、「神功皇后が造った」という伝説が語り継がれたのかもしれません。

次は、神功皇后が新羅討伐の兵士を集めるために太刀・矛を奉納したと伝わる神社に行きます。


本記事は「神功皇后ゆかりの地を訪ねる」シリーズの一編です。

日本書紀に登場する神社や史跡を実際に訪ね歩きながら、九州各地に残る伝承や歴史をご紹介しています。

まとめ記事「日本書紀をたどる神功皇后伝説|九州ゆかりの史跡11選」では、シリーズ全体をご覧いただけます。

これからも九州各地に残る歴史や伝承を、自分の足で歩きながら、一つひとつ紹介していきたいと思います。

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